『阿修羅ガール』を読んだ

阿修羅ガール 奇抜ないろいろは本当に物語に必要だったのかな。三島由紀夫賞の選考委員のひとが怒るのもしょうがないと思う。

ぼくはキリスト像をおしっこに浸した代物をほめている人は、別にそれが美しいからじゃないと思う。「いろんなものに浸してみましたが、おしっこが一番光の具合がいいんですよ」という話じゃないだろう。そこにあるのは、ぼくはピンカーの指摘するようなブランク・スレート説の延長でさえないと思う。単に、奇矯なことをしてやろう、人のいやがることをしようという低級な喜びでしかないと思う。

舞城王太郎については、ちょっと胸焼けするくらいおなかいっぱいになったので、しばらくは読まなくていいや。