「コンテンツのオープンソース化」の先祖をたどる

最近「コンテンツのオープンソース化」を口走りながら、http://ukai.org/wiliki/wiliki.cgi?%A4%DF%A4%F3%A4%CA%A4%CE%B9%CD%A4%A8%A4%BF%A5%AA%A1%BC%A5%D7%A5%F3%A5%BD%A1%BC%A5%B9&l=jpに新規参入をはかるひとが多いと思う。
コンピュータソフトウェアに特化されたオープンソースの定義は関係なさそうだし、ソースコードのないものにオープンソースといわれてもピンとこないのだけど、どういう意味なんだろう?

ばるぼらさんがレッシグの話を引き合いに出しながら「コンテンツがオープンソース化」みたいな話をちらっとしてたけど、全く理解されないのですぐに引っ込めてた。

さわやかさんの、ユリイカのイベントについての記述。

「コンテンツのオープンソース化」とかいう物言いの元ネタはここだったのか!

yuco さんのは ised@glocom についてです。

まずどこがオープンソース的なのかといえば、ユーザーの参加性です。たとえばはてなのユーザーからの機能要望や、動作のおかしいところのご指摘といったものが数多く寄せられるのですが、はてなの側でも、それをなるべく多く早く採用しているんですね。ここにユーザーのはてなへの帰属意識や所有意識が非常に強いという、前回の設計研でも出てきた部分とが関係しているんだと思うんです。

ただ本来のオープンソースとの対比で考えてみたのですが、基本的にはてなソースコードというのは公開されていないわけです。公開されていないけれども、たくさんの人がコミットしているのはどこかといえば、その機能やアイデアの部分なんですね。つまり、「人文系オープンソース」をはてなはやっているんだと思うんです。たとえば脆弱性の発見はコードを知らなくてもできるという話とよく似ている。

その ised@glocom で、はてな社の近藤社長の「人文系オープンソース」発言。